十干の性情および日干と他干の関係ー癸(23)

▼ 字義

(説文)には、冬時水土を平らにして揆度(きたく 推し量ること)すべきである。水は四方より地中に流入する形を象る。癸は壬を承け人の足を象る。

(五行大義)には癸は揆である。陰は陽に任じ、き然として物萌芽するの形。またの説では四枚の刃が四方に突出している武器にして、旬に通じ一回転して元に戻る意としている。

▼ 性情

質は重 性は純陰 徳は智 色は海水のように緑 声は清亮 身体は沈厚 由己(手前勝手の意)の情に耽溺しやすく、用は浅流にして包容湧畜のない水。時を得れば竜に従い、変幻し、慈悲は深く、臨機応変の才を発し、事を処するに慎重である。令を失えば尾を振って憐れみを乞い、その性は愚直となり、排難解紛(はいなんかいふん 難を排し、争いを解決する)の才があっても寮行看破(ものごとの善悪を見破ること)の能がない。活水として雨露井泉として、万物を慈育sる働きがある。水源の金をみれば、淡泊清冽の度を深くして、ややもすれば短兵急に事を計り、かつ人に馴染まぬきらいがある。

▼ 癸日から見る各干

甲木
傷官・陽干なので女命には男児 用となれば男命もまた同じ。

重土に対しては水路開発の美物である。強水に甲木をみれば、浅秀の用となり、事を処するに精華を発し強靭な言行を持するが、往々わが心に染まない場合は上下の別なく排撃する傾向がある。もし見弱に甲を多見して従格に適合しなければ、六親に阻害を生じ、才能があっても、やたらに虚勢を張って事の不成を招くだけである。しかし転化の火気(戊癸干合して火化するということ)を見れば、妻財子孫の福がある。

乙木
食神・陰干なので女命には女児。用となれば男命もまた同じ。

洩秀および制土の力は弱いが、従児格となれば純粋。ただし多少包容力に欠ける点がある。身強に乙木をみれば、清明の秀気を発し、多芸多才の命にして事の軽重をよく弁えるが、ややもすれば神経質に過ぎ、小成に甘んじる嫌いがある。見弱にして乙木多見はお人よしの内弁慶が、小言幸兵衛となって、心中常に不満を抱く。もし制木の金気を見れば、達識の才器に変じ(乙庚干合するということ)、火をみれば財福自如の人である。甲乙ともに情事に脆く、閨恕を招くのは男女何れにも適合。

丙火
正財・陽干なので父または妾婢。

通根して解凍の用となれば、恩沢厚く顕達の命。もし無根の場合は蒼卒短慮(そうそつたんりょ あわただしく、考えが浅いこと)のため、事を中途に破り、行路の屯難を自ら招く傾向がある。春夏の弱水が従格とならねば、祖恩を忘れて言葉の蹉跌(失敗しくじること)をきたす。水火均停して木の通関をみるものは、白手成家の努力家であり、妻財子孫の繁栄を得る。秋水に丙財をみるのは、気概高くして清閑を楽しむ人である。

丁火
偏財・陰干なので正妻。

寒水に対しては解凍の力が弱く、強力な火根かあるいは転枢((てんすう 変化するのに軸となるもの)の甲木がなければ、多憂多患の命にして六親は氷炭の如く相いれず、陋巷に沈淪(ちんりん)する惧れがある。秋水に丁火を見て剛金を抑える用となれば具眼練達の人にして、忍苦の果てに大功を納める。春夏の弱水が丁火を見る場合に従格とならぬ者は、奮発心乏しく妻財が禍となって一事も達成できぬが、もし水源の強金をみれば操守堅固にして、家名を重んじる人である。

戊土
正官・陽干なので子息。女命には干合有情の夫。

戊土を見て、従化いずれかに入格しない場合は、身の強弱を問わず、水源の金かありは疏通の甲木を必要とする。いずれにしろ融通性に富み察機の明があって進退行動に軽率な点が意外な傷害を惹起する惧れがある。大体青壮年を多難中に苦悶する者は晩景自適を得るが、安閑裡に過ごす者は老後不穏を免れがたい。二戊が争合となれば、男命は志向に背反をまねき、女命は婚家の多難を司る。

己土
偏官・陰干なおで男命には女児。女命には柔和なるも神経質な夫。

渇水気に己土をみて従殺となるものは真従として大成の重器。金印を見る場合は春夏ともに作井の清水となるが、包容力に欠け、往々他人の落度を看過できぬため、いらざる怨恨を招きやすい。秋冬の水に己土をみれば行為が不清となり、ただ丑月に己癸が会党して丁火を見れば、雪後の燈光と称し大貴の命となる。

庚金
印綬・陽干なので義母

冬水を除いて有用な水源。もし用となれば人となり重厚篤実にして公平無私、恭敬をもって上下に接し、胸中に大志を抱き、ただし強金を重見する場合に火制がなければ、好学なるも志向が一定せず、雪上霜を加えるごとき小才を弄す。もし強力な丁火を一見すれば、隠忍自重の大成の士となる。

辛金
偏印・陰干なので正母。

庚金に比し水源としての力は劣るが、用となれば博学多才の資質にして稍狷介(しょうけんかい 稍=ややすこしばかり頑固で自分の信じるところを固く守り、他人に心を開こうとしないこと)の気風がある。直言して人の誤解を招く癖がでる。夏生まれに壬水が加われば汪洋(おうよう 水量が豊富で、水面が遠く広がっているさま)となり、営々努力によって大功を納める貴命。冬期に陽暖を見なければ、排他の性強く自ら殻を閉じて孤苦零丁(こくれいてい 落ちぶれて孤独なこと)を免れがたい。

壬水
劫財・陽干なので兄弟朋友。

渇水期は壬水を見れば、風雲に乗じて社会の表に立つが、もし金印をみなければ栄冠を目前にして失墜の危なさがある。他期に壬水を見る場合は火土の好配を得なければ開花の機を逸してやたらに不遇をかこつ命。特に冬春の水は策士策に溺れるか情事に耽溺して破家耗産を招く。

癸水
比肩・陰干なので姉妹。

比肩の癸水が天与の雨となれば、双魚墨池(そうぎょぼくち 双魚=一対の魚 墨池=硯)と称し、多才多芸の能士である。もし戊土を合去する忌神となれば、父母と早く別離し肉親の累があり、特に女命は濫淫のため身を誤るものが多い。春夏の比助は金生がなければ衷心(まごころ【真心】)なく、秋冬に火暖を見なければ、才子多病か、いずれにしろ行路に不安が生じやすい。

癸日の用例 女命

戊 子 北方
16歳 壬戌26歳 辛酉

癸 亥 会水
36歳 庚申46歳 己未

癸 丑

壬 戌

格局=亥中の甲木をとって傷官格

用神=戊中の戊土

喜神=亥子丑北方の水を金備し、壬癸三水を透出しても戊と戌の両士があるので、潤下格にはならず、従って木火土が喜神となる。ただし、木は天干に見るのを忌み、地支に見るのを喜ぶ。

忌神=旺水を助けるので金水

六親=年上の戊土は根が遠いので、制水の力が弱い。17歳甲辰年に父を失い、20歳丁未年に母を失う。姉一人兄一人でいずれも忌神に属すので力とならない。月上の癸水は戊土の作用を損なうので、恐らく姉の夫は意気地がないであろう。従ってこの戊土は制我の働きがないので、欲情を恣にする惧れなしとしない。事実16歳癸卯年にはすでに数名の男と交渉があり、20歳丁未年にはその内の一名の同級生と結婚。これまた生活能力がなく、始めから本人の持参金をめあてにして架空の事業を目論んでは、次々と費消する始末たまりかねてよく戊申歳に離婚。

推断=この命は中年まで男を転々と取り換えるであろう。即ち金水の地を得るので、年上の土制が全然役にたたないからである。従ってよほど改心しなければ、36歳大運転用の際に愛情問題か、あるいは子宮疾患によって落命のように推断できるが、しかし回避の方法を施せば、時支戊土が堅牢な岩盤となり、激流に押し流されることなく無事保命できるのみならず、後続夏運の救助を得て、性質素行ともに一変し、平穏多幸な境遇を送るであろう。

癸日の用例 男命

戊 子
10歳 己未20歳 庚申

戊 午
30歳 辛酉40歳 壬戌

癸 巳 南方

己 未 会火

格局=戊癸干合して午月生まれ。地支に南方の火を会成するので、化火格が成立する。従って年時の戊己は官殺が変じて食傷となり、また年支の子水は比肩から七殺に変化する。

用神=化気格は普通化気を生扶するもの。即ち化火ならば木を用にとるのであるが、この命は年支の子水が格を破るものである。しかし夏期の滴水であり蓋頭の戊土がこれを尅し、しかも暗に化火させる救応の働きがあるので、この戊土を用にとる。即ち一旦破れて再度成格させるものである。

喜神=木火土(土は本来化気の火を洩らすので嫌うが、定法であるが、前述の通り子水を制するものとして用神)

忌神=化気に逆らう水。水を生助する金

概評=滴天髄に仮化の人もまた貴が多く、異姓孤児もよく出類す、とある。本命は一旦破れてもまた成るので仮化ではない。しかし化気格は原神の透出するのを尊ぶという条件に欠けるのが惜しい。特に制伏暗化(制伏=征服 暗化=知らず知らずのうちに変化すること)されても年支に忌神の子水を見るのが疵となり、年少時おそらく父運が衰弱したであろう。年柱に忌神をみれば、早年の困苦を示すからである。(事実戦後であっても、この子の誕生当時はオシメにも事欠く窮状に苦しんでいたと父親の述懐)。しかるにこの子が16歳以後は父運にわかに伸発し、以後順調な発展を遂げ、現在では約200人の従業員を擁し堅実な業績を納めている。

癸日の用例 男命

丙 寅
35歳まで 戊戌45歳まで 己亥

乙 未
55歳まで 庚子65歳まで 辛丑

癸 丑

乙 卯

格局=癸日が未月に生まれて未中の乙木が透出するので食神格となるが、命中四木にして丑未の土は木に尅されて、丙火が透って金気皆無。身が極弱となるので従児格の仮格が成る。

喜神=従児は比劫の水、食傷の木、財星の火を喜び、印綬の金を最も忌み、木土相戦する土を嫌う。

推断=35歳までの秋運は身体環境とも塞滞するが、己亥運に交入するや亥卯未三合会局して従児の真格となり、俄然機会を得て家庭教師より学習塾を開設。以後目覚ましいを遂げている現状である。即ち事業が子ども相手で適宜を得たのである。