陰陽五行ー十干(03)

十干

十二支表
子(ね)
丑(うし)
寅(とら)
卯(う)
辰(たつ)
巳(み)
午(うま)
未(ひつじ)
申(さる)
酉(とり)
戌(いぬ)
亥(い)

干と支をもって一体と考え、干支自 体が陽であるか陰であるか明瞭に必要であるところから陽干には陽支、陰干には陰支を組み合わせ、六十干支ができました。作用のところで考えなくてはならないのは、午は体は陽であり、用は陰であります。また、巳亥は体は陰ですが、用は陽です。六十干支ができたことにより十日間しか表示できなかったものが、六十日数えることができ、六十日六回繰り返すことで三百六十日一ヵ月は月の満ち欠けする周期を三十日と知って、十二か月で三百

陽木 甲(きのえ)
陰木 乙(きのと)
陽火 丙(ひのえ)
陰火 丁(ひのと)
陽土 戊(つちのえ)
陰土 己(つちのと)
陽金 庚(かのえ)
陰金 辛(かのと)
陽水 壬(みずのえ)
陰水 癸(みずのと)

六十日暦法に対する足がかりとなったものです。(一朔望は二十九日 十二時間四十四分二十八秒)この六十干支の完成は年、月、日、時間に配されるようになり、一巡してまた甲子となる約束ごとになり、時間も子の刻に始まって十二刻で一日が終わり、また繰り返されることになります。日本では明治五年旧暦を(月の朔望によってつくられた)太陽暦に直しました。一万年の間に三日のずれができます。

甲寅 甲辰 甲午 甲申 甲戌 甲子
乙卯 乙巳 乙未 乙酉 乙亥 乙丑
丙辰 丙午 丙申 丙戌 丙子 丙寅
丁巳 丁未 丁酉 丁亥 丁丑 丁卯
戊午 戊申 戊戌 戊子 戊寅 戊辰
己未 己酉 己亥 己丑 己卯 己巳
庚申 庚戌 庚子 庚寅 庚辰 庚午
辛酉 辛亥 辛丑 辛卯 辛巳 辛未
壬戌 壬子 壬寅 壬辰 壬午 壬申
癸丑 癸丑 癸卯 癸巳 癸未 癸酉
子丑 寅卯 辰巳 午未 申酉 戌亥 旬空

坂本竜馬 天保六年十一月十六日生まれですが、太陽暦では天保七年一月四日です。
乙未  丁亥
戊子  丙戌
庚子  乙酉
甲申
呼称が変わっただけで干支は変わらないのです。中国でも1912年を民国元年として太陽暦を採用していますが、干支は変わっていません。六十干支の成立は殷の時代以前であったということは、殷の皇帝の名が十干をいれてあることや、殷墟の出土品の「甲骨文字」に六十干支があったことから太陽を示す干を皇帝の名前にしたことも頷けることです。

戊癸の日 丁壬の日 丙辛の日 乙庚の日 甲己の日
壬 子 庚 子 戊 子 丙 子 甲 子 自前0時 至 1時
癸 丑 辛 丑 己 丑 丁 丑 乙 丑 自前1時 至3時
甲 寅 壬 寅 庚 寅 戊 寅 丙 寅 自前3時 至5時
乙 卯 癸 卯 辛 卯 己 卯 丁 卯 自前5時 至 7時
丙 辰 甲 辰 壬 辰 庚 辰 戊 辰 自前7時 至 9時
丁 巳 乙 巳 癸 巳 辛 巳 己 巳 自前9時 至 11時
戊 午 丙 午 甲 午 壬 午 庚 午 自后11時 至 1時
己 未 丁 未 乙 未 癸 未 辛 未 自后1時 至 3時
庚 申 戊 申 丙 申 甲 申 壬 申 自后3時 至5時
辛 酉 己 酉 丁 酉 乙 酉 癸 酉 自后5時 至7時
戊 戌 庚 戌 戊 戌 丙 戌 甲 戌 自后7時 至 9時
癸 亥 辛 亥 己 亥 丁 亥 乙 亥 自后9時 至 11時
甲 子 壬 子 庚 子 戊 子 丙 子 自 11時 至 0時

日の変わり目を0時とする早い子の刻と遅い子の刻によって分かれる太陽の移動は1度―4分づつ移っていく。

私たちは日常標準時間で生活している。標準時間は英国のグリニッチ天文台を標準として各々の国で標準時間を決めている。日本では明石の子午線東経135度の地点を太陽が通過する時間をもって正午としている。この135度の子午線はグリニッチ天文台より9時間進んでいる。

24時間が1日ですから地球も軽度で分けると360度が円周ですので、1度につき4分の速度で移動することが分かります。東経145度の北海道の中標津生まれたのと、東経130度の九州大村付近で生まれたのでは、正味1時間の違いがあります。ですから、推命の生まれた時間は生活方便上でいう標準時間ではなく、生まれた地点により真正な時間を算出しなくてはなりません。東京で生まれたとすれば、東経139度50分でありますから、東京の標準時正午生まれは、実際は后0時18分に生まれたことになります。